小学校の先生ラストイヤー!!??

「できるってことは幸せなこと。できることができるようになった今、絶対に忘れてはいけないこと」

最後の希望だと思われた「サムスカ」の投薬も副作用だけが出てしまい、医者から「もうここまで落ちてしまった腎臓にはそこまで効果は得られない。」とダメ出しされる始末。

 

 腎移植を決心し、教員生活ラストの気持ちで4月を迎えました。教員生活ラストって大げさすぎ?それは自分の体でないからそのようなことが言えるのです。できることができなくなり、食べたいものが食べられなくなり、好きなことができなくなり、生きがいって言えば教室にいって質の高い教育を行うこと、子ども達と出会って元気をもらい、元気を与えること。教室で先生をしている瞬間こそが僕にとって最も幸せな瞬間であり、それ以外の時間は死んだ方がましなくらいつらい時間。ここまで追い込まれたら、そうなると思います。

 

 担当学年は3年生。一応、管理職にも経過を説明し、様々な配慮をしていただきました。宿泊行事がない学年。校外学習が少ない学年。自分の一番の武器である理科が生かせる学年。今まで、5、6年が主でしたが、久しぶりに3年生を担当しました。これがまた、可愛くてしょうがない。天使たちです。また、ちょうどこの時期から、妻に学校まで送り迎えをしてもらうようになりました。行きも帰りもですが、帰りはタクシーで帰ることも増えました。タクシーは1回7000円ほどかかりましたので、お金もずいぶん使いました。車で送り迎えがなければ、即休んでいる身体だったと思います。妻に感謝です。

 

 ラストイヤーと自分で決心したので、それこそ、捨て身で自分にできる最高のパフォーマンスを子どもたちに提供しました。いっさい手をぬかず、いつ死んでもいいように。

 

いきなりはじまった家庭訪問はつらかったなあ。保護者とあって、笑顔で楽しくお話しして、安心感を持ってもらって・・・まではいいのですが、歩いて移動すること、トイレ、水分補給と、人並み以上につかれました。まだ、4月はじまったばかりだったので、できたかもしれません。

 

春開催の運動会。学年の動きは学年で分担して、合理的かつ計画的に練習を進めました。まだまだいける・・・。運動会って、学校全体で動く一大イベントです。当然先生たちも協力しあって、分担して、職員作業もたくさんあるわけです。その職員作業が死ぬかと思いました。
思いものが持てない。ちょっともつと、つってしまい、途中で落とすこともしばしば。みんなに分からないように、上手に作業していました。

 

定期的に通院する中で、健康の数値もどんどん悪くなり、プール指導の禁止を宣告されました。

 

続いて、校外学習(遠足など)の禁止。体育学習の禁止。

 

診断書も出て、学校もそれを承諾。体育・校外学習の自分の代わりは級外の先生にお願いすることになりました。ホント申し訳ない気持ちと、ここまでやる意味あるのかあという気持ちと、ここが死に場所だという開き直りの気持ち。

 

できないことがどんどん増えてきて、毎日つらくてしょうがなかった。
職員室にもいられなくなった。

 

僕の気持ちは複雑だったけど、やはり「見た目は変わらない」
そのため、周りからは「さぼっている」「なまけている」「あいつのせいで○○先生がとられる」という、あからさま僕の耳に聞こえてくる具体的な言葉や、全く悪気はないのだろうけど、放課後の食べに行く話、飲みに行く話、お菓子を配って雑談をしている様子、休みの日のお出かけの話など、僕にとってはどれもできないつらいだけの話。

 

周りには相談できなかった?
そうですね。歩くのがつらくなって初めて杖をもって学校にいった時のこと。4月のことです。朝一から○○がやってきて、

 

「世間体がわるいから杖をしまいなさい。子ども達もいるし、たくさん保護者も学校に来るでしょ」

 

と言われたこと。当然、言い返す気にもなれないし、ああ、もう○○はあてにならないなあと。言っても無駄。どうせ見かけからしか判断しない人。世間体を守りたい人。○○がこんなんだと、自分の今の現状とか相談できるわけない。もう、これは一人でだれにも相談せず、死ぬ気で頑張るしかないなと決心した瞬間でした。家に帰って妻に話をしたら、泣きながら激怒していましたね。

 

では、今回のタカから一言

 

「できるってことは幸せなこと。できることができるようになった今、絶対に忘れてはいけないこと」


 

うん。まさにコレですね。僕は一生涯忘れることはないでしょう。
また、教えてあげたいですね。
自由に動くことができること、自由にパソコンを打つことができること、自転車に乗れること、自由に食べることができることなど、当たり前にできることをやっていることがどれだけ幸せなことかって。そうすれば、僕たちみたいな気持ち、少しはわかってくれる人が一人でも増えてくれると信じているんです。

 

ここでも、やはり「リスペクト」でしょうか。
相手の立場にたって、同じ目線で考えようとする努力をすること。僕は、上から目線が嫌いです。だから、上から目線の威張る人間にはなりたくない。
価値観を押し付ける人が嫌いです。だから、価値観を押し付ける人にはなりたくない。
それでも、威張っている人、価値観を押し付けてくる人を認めようとする努力はするつもり。

 

謙虚な気持ちと、リスペクトの気持ちをもって。

 

「誰もが 安心して 豊かに」生活する社会。
すばらしく、最高の社会ですが、課題はいっぱい。

 

僕は逃げません。

 

今日はこのへんで。次回は続編その2を書きます。

 

タカでした。
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