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入院までの道のり

ミイラのような生活

経験者のチカラ

こんにちは。いつもありがとうございます。
タカです。

 

小学校生活ラスト(と僕が決め込んでいた)も終わり、教室、子どもたちといった生きがいをなくした僕は、文字通りミイラのような生活になりました。
すべての気が抜けてしまったというか、考えるのは、現状の苦しさと、数日後に控えた病院の通院。

 

名古屋第二赤十字病院で入院、手術をするだろうということはわかっていましたが、この段階では全くの未定。
ただただ不安ばかりが大きくのしかかっていました。

 

ベッドに横になり、天井だけをじっと見つめて、ものすごいかゆみと、出血による痛み、これでいいのかなあという漠然とした悩み。

 

このときの心のよりどころは、小林真央さんのブログでした。

 


笑顔でまっすぐ家族と関わり、生を信じて疑わなかった真央さん。

 

僕と同じ病気ではないけれど、同じように希望を見出そうして懸命にがんばる真央さんに僕はものすごく勇気をもらいました。

 

この数日後、まさかの事態が起こるなんて僕には想像もできなかったです。

 

食事もとろうと思えばとれたのですが、食事をとると、すぐに吐き気は起こるし、身体を動かすのがいやになるくらいでした。
食事も作ろうという気が起きなかったですし、買いに行こうにも、フラフラでどうしようもない。
テレビも見ようとは思わなかったです。
大げさな言い方かもしれませんが、まさに、息をしているだけのミイラです。

 

それだけ、僕から学校生活を切り離したときの虚無感がすごかったですね。

 

都会の生活から、実家の田舎暮らしを始めたとき、両親も僕の変わりように驚いていました。

 

4月10日。名古屋第二赤十字病院に母と向かい、その日の診察で、すべての日取りは決まっていました。
今後の通院日の日程。検査内容。
そして、本格的な検査入院、入院、手術、退院。

 

その後、手術について、入院について、ビデオで説明を受けながら、あっという間に時間は過ぎました。
正直のところ、ものすごく集中していたといえば集中できなかったです。
歩くのもつらかったでので、杖をついて歩いていましたが、あまりにフラフラするので、父にズボンをぐいっとあげられました。

 

何よりも不安が多く、わからないことが多すぎること。
母からの腎移植という気持ちの整理の問題。

 

コーディネーターの方と1対1でお話する機会があり、いくらか心が軽くなりました。
おそらく何百何万と、僕らのような患者の症状を看て、お話してきたのでしょう。
そんな経験豊富なコーディネーターさんも、決して上から目線ではなく、僕の話をうなずきながら聞いてくれました。
このときも、母とのこと聞かれましたが、正確に、気持ちを伝えられなかったです。複雑な気持ちでした。

 

待合室で待っているとき、偶然ですが、「レシピエントの会」のチラシに目が留まりました。
移植患者の体験談を語り合える場。もしかしたら、ここに行ったら、少しでもわからないことがわかるようになるかもしれない。
もしかしたら、不安が少しは軽くなるかもしれない。

 

行ってみようかな。そう決心するのに時間はかかりませんでした。

 

名古屋第二赤十字病院に来たのは、これで3回目。
最初に来たのがちょうど1年前。2回目が11月終わり。僕は2日目の数日後に緊急入院(別の病院)をしました。

 

少しだけ、テンションがあがったことがあります。
帰りに、売店の近くを横切ったのですが、おいしそうななものや、小さい本屋さん、コンビニ・・・。
入院のときに、ここに来ればけっこう退屈しのぎになるかも^^と淡い期待を抱いていました。

 

 

ちなみに、検査入院も、入院期間も、病院から出される食事以外は口にしてはいけません。
このときは知らなかったですが、買いたいものを買うために、売店に向かうのですが、破壊力抜群のいいにおいと、おいしいものが取り寄せられているので、これから、入院する人は要注意!!見てるだけ〜ですよ。


 

実家暮らしがはじまり、最初は無理やり父に散歩に連れ出されましたが、父が速すぎて着いていけませんでした。
父も腎移植経験者なので、僕の気持ちをずいぶん理解してくれていました。

 

僕自身も、「絶対元気になる!」と一生懸命言い聞かせようと必死でしたが、現状の辛さに、やはり不安は大きかったですね。

 

食事はというと、毎日、少しずつ食べるのが普通になり、三食確実に食べることができるようにはなってきました。
(というか、両親にしっかり管理してもらっていました)

 

その甲斐あって、少しずつ、動くことができるようになりました。
びっくりするくらい息切れすることが増えましたね。

 

レシピエントの会に初めて行ってきました。
第3病棟8階のデイルームで定期的に行われています。

 

最初に一人で行くのって、相当ドキドキしましたよ。
病院へは、地下鉄(八事日赤)を降りてすぐにあったので、よかったのですが・・。

 

それから、破壊力抜群!の売店を通り過ぎて、エスカレーターに乗って、8階に行く。
いかにも、病院という感じのスペースにやってきて、ナースステーションが目に入り、ここでも一瞬気が引けました。

 

自意識過剰ですが、たくさんの看護士さんが僕を見るから。

 

ここは入院患者以外、立ち入り禁止なんですけど・・。
そこのボク!迷い込んで入ってはだめですよ〜!


心の声が聞こえます。(聞こえている気がします)

 

このゾーンを看護士に話しかけられないで、デイルームを探すのはキツイな!と思いましたが、数秒後、安心しました。
ナースステーションのすぐそばにお目当てのデイルームがありました。

 

 

「失礼します!」「よろしくお願いします」


 

緊張ながらも、挨拶をしてデイルームに入ると、周りはみんな笑顔の年配の方ばかり。
しかもかなりフレンドリー♪

 

「よお。こんにちは。好きなとこ座って」
「手術終わった?」
「今いくつよ?」

 

明らかに僕だけ場違いな気がしましたね。正直のところ。
でも、新参者の僕に優しく声をかけていただき、緊張もすぐに解けました^^

 

「レシピエントの会」スタート。
会の説明から始まり、一人ずつ、体験談を話すことになりました。
僕は、まだ入院もしていないし、手術もしていない。わからないことだらけ。言えるとしたら症状くらい。

 

「不安なことや、わからないこと何でも話してもいいよ」
もう、みなさん神!!本当に優しい方ばかりで、僕は、症状で辛いことや、わからないこといっぱい話しました。

 

このとき、僕が話したこと、具体的に言うと

 

 

「症状」(ここでは割愛します。前のページをご覧になってください)
「入院手術っていくらかかるの?」このときは大真面目で100万円以上は通帳から下ろそうと思っていました。
「手術って痛いの?」
「今ってみなさん幸せですか?」
「手術って怖くないの?」
「ドナーさんのことそのように思っているの?」


 

大体、これくらいですね。このときのレシピエントの会は10人くらいの参加者で、みなさん腎移植後の方。
僕にすごく時間をくれました。

 

みなさんは、今の現状で何をしているか、気をつけていることは何かを嬉しそうに話していました。
レシピエントの会が終わった後も、僕のそばにたくさんの方が集まってくれて、皆さん口々に僕を励ましてくれました。
僕も、このとき新しく知ったことや、この会の存在のすばらしさ、入院を迎える心の準備がずいぶん整った気がします。

 

僕がこうやってサイトを立ち上げたのも、同じような苦しみをしてほしくないため。
少しでも役に立って、気持ちを楽になってもらいたいため。
このサイトを見れば、腎臓病の生活のすべてがわかり、気持ちよく人生を送ってほしいため。

 

僕が苦しんだ分、僕が不安になった分、やっぱり同じ思いをしてほしくないのは当然です。
「レシピエントの会」ぜひ参加してほしいです。

 

さらに驚いたこと。病院の先生も参加して、お話を聞いていてくれたこと。

 

しかも、偶然ですが、僕が入院したときの担当の先生になっていただいていて、状況をよく理解してくださっている先生がこんなに身近にいること、これほどの安心感はありません。

 

そこで、タカからの今日の一言

 

経験者の力は大きい!


 

うん。これですね。
症状は人によって様々です。不安も様々です。
僕は、自分しかこの不安な気持ちは理解してくれるわけがないと思っていました。
身体が健康な人に気持ちがわかるわけがないと思っていました。

 

確かにそうかもしれません。自分が一番自分のことをわかっています。
ただ、経験者は、同じく苦労を乗り越えてきて今がある貴重な仲間です。同士です。

 

僕も経験者として、今苦しんでいる人や、これから入院・手術を迎えようとしている人にしたいことは同じ。
一人で悩んでいないで、ぜひ、僕たちの仲間になってください。
きっと気持ちがぐっと楽になりますよ。

 

次回は、検査入院までの通院と、過ごしたことについて記事にします。

 

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