母(ドナー)としての体験談

ドナーとしての思い

 

こんにちは。タカです。
ここでは、僕の母(ドナー)の体験談を掲載します。母も僕のサイト作りに協力してくれました。

 

★実際は、紙に書いたことをさらに聞き取りをしてまとめました。


(腎移植を決心した理由は何ですか)

 

40歳なんてまだまだ働き盛り。これから働き盛りを迎えるタカにとって、ますます充実してほしいと思ったからです。今まで積み上げてきた経験も大事だけど、これからの人生ももっと大事。私のそのころを思い出してみても、仕事の中でもやりたいことがいっぱい。もっと、もっと仕事への欲もあったし、その仲間と先を考え時間のたつのも忘れひたすら話し合った。若い仲間とも一緒に仕事を通じて夢や希望に燃えていた。仕事以外では、旅行や趣味、子どもとの生活、まだまだ充実できる年なのに・・・と思ったからです。


 

(腎移植のために、ご自身が感じたこと、努力したことは何ですか)

 

これからの人生をよりよくしてほしいこと。これに尽きます。夫が腎移植をして元気な姿で立ち直っている姿を一番近くで見ていました。そりゃあ、入院、手術、通院のときの苦労や、日常生活の苦労は誰よりもわかっているつもりです。感染になりやすいし、食事だって必要以上に勉強しました。毎日の食事管理はバッチリです!!夫の腎移植経験から、不思議と怖さはなかったですね。それに、病院の説明も親身でわかりやすく、今の医療技術について、また、移植後の生活のデータなど、どれも不安要素がなくなるものばかりでした。遺伝性の病気なので、仕方ないとはいえ、文句一つ言わずに、そのまま今の仕事をやめていく姿を見たくなかったです。

 

努力したことは、私自身の身体の健康のこと。毎日朝夕のウィーキングは欠かさず行い、ラジオ体操もしています。また、心と体の健康のために、ヨガ体操や、バランスボール、ラジオ体操もその一つ、人とお話しするのも大切かなと思います。今でも続けています。


 

(通院のときに気をつけていたことは何ですか)

 

ドナーになるまでは、何としても健康で過ごすこと。事故に合わないように危険なことはしない。かな? 事例で交通事故のせいで、ドナーになれなかった人が過去にいたことを知り、ものすごく気をつけました。必ず信号を守る、危ないときは信号を渡らないなど、当たり前のことかな。検査結果が悪いとドナーになれないらしく、ものすごく検査結果が気になりました。糖尿病予備軍といわれ、夜のウォーキング、甘いものをたべないこと(今までは朝いっぱいのコーヒーと、チョコレートが大好きでした!)を徹底的に開始し、一日のノルマにしました。


 

(普段気をつけていることは何ですか)

 

3食の食事ですね。偏りをなくし、3食を大事に一回あたりの食事で3等分したたんぱく質、野菜は350g以上。ごはんの量も毎食同じ。今も同じにしています。塩分は1日6gを必ず守っています。


 

(入院時、手術を迎えるときの気持ちを教えてください)

 

不安は全くなく、先生におまかせ!前夜もぐっすりでしたよ。


 

(手術後に感じたことは何ですか)

 

痛みは感じなかったですが、麻酔による?吐き気。これが曲者で、お腹はすくのに、吐き気がつづきました。痛み止めもしていません。退院しても吐き気は2・3日続きました。


 

(無事退院して、ご自身が気をつけていること何ですか)

 

体調管理。規則正しい生活。食事。かなあ・・・。


 

(今、どのような生活をしていますか?)

 

手術が終わって6ヶ月が経ちました。ドナー前と何ら変わらず、1日15000歩くらい歩いて、趣味のヨガやバランスボールもやっています。最初、ラジオ体操で反り返る(前後屈)と傷が引っ張る感じでしたがもうふつうです。家庭菜園も何でも作っています。自給自足できるくらいやっています。旅行も以前と同じ頻度でどこでも行きます。手術後3ヶ月後くらいからは手術したことは忘れています。


 

(今後のタカの生き方、生活について、どのようなことを思っていますか)

 

タカがいつ、また腎移植だ、透析だ、という身体になるか誰にもわかりません。だったらできることが増えてきている今タカのやりたいことを精一杯やってほしいです。感染も不安だし、休職しての復帰は不安が大きくのしかかることは承知しています。でも、一歩を踏み出してほしい!自分の希望と夢に向かって。食事を自分でできるように毎日のように声をかけていますが、タカも自分でそのあたりは良くわかっているみたい。でも、知識だけじゃダメ。今は、私が管理しているけど、現住所に戻ったとき(今は実家で暮らしているため)、自分ですべてできないとそれこそ、自分のせいで腎臓が悪くなってしまう。それはタカ自身は望んでもないこと。だから、一緒にくらしている今、私にできること(食事管理、生活管理)を伝えていきたいです。

 

結局、働かないとお金はもらえない。お金をもらわないと生きていけない。最初はつらいのは百も承知だけど、早く復帰して仕事になれてほしいです。何より、子どもたちとふれあうことが生きがいに感じているタカにとっての時間を、できるだけ長くすごしてほしいのが正直の気持ち。

 

生きがいの時間も大事だけど、やっぱり長生きして幸せでいてほしいかな。教師も大事だけど・・・。


 

(どうしても伝えておきたいこと)

 

他の病気で働けない人もいる。自分だけじゃない!!


 

(全国のドナーの方にメッセージをお願いします)

 

最初は不安かもしれません。でも、私は、夫も見てきたこともあるのですが、最初からそこまで心配しませんでした。健康のまま過ごすことが一番。私は手術前も健康、手術後も健康、しばらくたっても健康です。今でも健康です。だから、心配しないでください。
目の前の大切な人、大事にしてあげてください。逆に、ドナーにならないと後悔していましたよ。今の元気に復活しつつあるタカを見ていると・・・・。


 

(インタビューを終えて)
今まで、深く母と向かい合って、手術のこと、入院のこと、今後のこと・・・気持ちを伝え合ったことはありませんでした。あるにはあったのですが、照れでしょうか、そこまで深くなかった気がします。

 

腎移植を終えて、
母と快気祝いで食事に招待したときの顔
母の誕生日に生まれて初めてかもしれない誕生日プレゼント(ツイッター参照)
一緒にウォーキングしているときの会話
一緒に食事の準備
一緒に過ごすことで、一緒に活動することが増えました。
正確に言うと、一緒に活動するのが、イヤにならなくなりました。
一緒にいられる時間で、僕ができること、僕が吸収できること、いっぱいしようという気持ちになってきました。

 

移植に関係する母とのエピソードだけでなく、子どものときから、ずっと思い出していたら、自然と涙が出てきます。
まだまだ言いたいことがきっとあったと思う。
母の気持ち・気概に答えるためにも、僕は一生かけて恩返しするつもり。
このサイトを立ち上げたのだって、僕のこんな気持ちが行動になって現れたものだと思います。

 

実際、母がこのサイトを見たら照れくさくてしょうがない気持ちになると思います。
でも、生きているうちに親孝行をしていきたいです!!



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